湾岸ミッドナイトの話【首都高走り屋バブル期のチューナーの話】

旧車トーク
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RYUTA

【〜あらすじ〜】
車に住んで何年経っただろうか

■俺は滋賀出身!バリバリの関西人!年齢は永遠の20歳!

■WEB系のお仕事にて独立5年目…
場所に縛られない働き方を模索し実現。そこから東南アジアを放浪したり、日本全国旅しながら仕事をしていた。

■好きなことは、車を改造したり、女性を口説いたり、世界中旅をすること。本能の思うがままに生きてる。自分に嘘はつかない

■このブログは、社会不適合者による「ダメ男だけどなんとかなってる」
愛想はぶっちゃけあんまりありません。だけど、自分が尊敬する人や、応援してくれる人をとんでもなく大切にしたい。そんなタイプな人間です

The story of Wangan Midnight “Talk of the tuner in the capital high-priced bubble period”

Can translate into Englsh!

 

この記事は、

 

バブル期にチューニングという分野が盛んでした。その歴史を伝えたい。

 

僕は、23歳です。親父がR32という日産のスポーツカーに乗っていました。

 

なので、聞いた話を元に、こんな壮絶な時代があったことを伝えたいです。

 

 




日本車の中でも、1960年〜2000年ぐらいまでに販売されたスポーツカー

・日産GT-R

 

 

・マツダRX-7

 

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・トヨタスープラ

 

 

・スバルWRXインプレッサ

 

・三菱ランサーエボリューション

 

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・ホンダシビック

など多くの日本車は、海外でも大人気です。

 

その理由は、人を魅了する何かがあるのです。

 

多くの人は、日本車よりも外車の方が、エンジンの性能が良いと思っている方も多いと思います。

 

しかし、「フェラーリ、ランボルギーニ、ブガッディ」などよりも、ハイパワーな日本車があります。

 

それは、元々、頑丈であり、チューニングすることによって、280馬力という規制から飛び越えて、

 

400馬力を簡単に、800馬力に到達する車もあります。「最高速300km以上」

 

その過程を作ったのが、日本で車の文化が盛んであった「その時代の車たち」

 

 

快適さより、美しさ速さ

見惚れるボディ、運転座席に座るだけで気分が上がる。

 

そんな車。

 

現代の車たちは、快適さに方向を向けていて、運転をしても面白く無い。

 

人それぞれなので、車が好きな人にとってはわかる話だと思いますが、知らない人にとって理解ができない。

 

例えば、ファミレスと、焼肉屋で料理を食べるとします。

 

ファミレスは、普通なので、食べている時も普通の気分だと思います。

 

しかし、焼肉屋って行く前から、少し気分が上がりますよね。食べている時も、ずっと楽しいイメージ。

 

そして、焼肉って見た目も食欲をそそりますよね。

 

そんな感じで、運転している時間がずっと楽しく、その美しい流麗なボディは、みているだけで、走りたくなるそんな感じだと思います。笑

 

 

湾岸ミッドナイト「チューナーの話」

湾岸ミッドナイト、頭文字Dは、実際に現実の話を元に作成しています。

 

1980年代が一番、走り屋という、道路をどれだけ速く走れるかという事に対して、リスクをとって追い求めた人が多かった。

 

なので、みんながはまっていたそうです。

 

・湾岸ミッドナイトは、東京首都高、大阪環状などが舞台であり、

 

・頭文字Dは、日本の峠を舞台に繰り広げられたものです。

 

サーキットでは満足できない人たちが、公道で最高速バトル「300km以上」をしたり、峠の曲がりくねった道を「100km以上」で走行する物語です。

 

その時代に「チューナー」という、車を速くする仕事が繁盛しました。

 

その人たちは、車の速さを求めて、エンジンを壊しながら、何度も調整をして、少しずつ車の速さを向上させていったと言います。

 

人間の凄いところは、不可能を可能にしていった事です。

 

日本車は180km以上スピードが出ないようになっていますが、この時代の車たちは、そのリミッターを解除するだけで、

 

250kmほど出るそうです。

 

ブーストアップ、タービン交換、エンジンを煮付けていき、パワーだけではアクセルを安心して踏めないので、

 

足回り、ボディの補強を行い、とんでもない加速をしても、安心して踏める車が仕上げる。

 

 

国が発展してしまった今、そんなリスクが敬遠されるようになってしまった

 

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親父の時代の車たち。街道レーサーという日本らしい車たち。

 

世界に、こんな風にした車文化が無いからこそ、海外からも人気。

 

何かを作り出すには、今無いものを作り出して行くしかない。

 

それが、人生であり、人の生き様だと思う。

 

ただ、

 

国には、色んな人がいます。

 

車が好きな人にとって、走り屋は追い求める存在。

 

しかし、車に興味が無い人にとっては、敬遠されてしまう。

 

グレーゾーンの行為であることは、国の発展の具合によって、清浄されてしまいます。

 

何かを追い求めることは、すごく大切なことであり、もっと便利な価値を生み出すことができる。

 

その価値が、海外の人に笑顔を届けるかもしれない。

 

僕は、グレーゾーンはある程度必要だと思っていて、それは人の自由にも繋がるからです。

 

日本という国では、楽しめなくても、海外というグレーゾーンがまだまだある場所に行くことで、何か楽しめないと思う人には、

 

居場所を作ることができるかもしれません。

 

2018年バンコクへ20日間滞在してきました。

 

バンコクへ行き世界観が変わり、海外にはまだまだグレーゾーンがたくさんあります。

 

なので、自分のやりたいことをするには、無駄なノイズが飛ぶ日本より、

 

海外という場所を変え、グレーゾーンを理解してくれる人たちの国行くほうが、はるかに人生を楽しめると思いました。

 

この記事を見ている10代、20代は、どこかに突き進みたい欲望があると思います。

 

だけど、日本では、相当な勇気とメンタルが必要です。

 

この世界に正しいことはなく、何かを追い求めるのが人生だと思うので。

 

そんなに強くなれないなら、海外に行けば良いと思います。

 

人は、環境が変われば内面も変わります。

 

なんというか、そこの土地の人たちと同化するからです。

 

バンコクって、すごくのびのびできる世界観で、物価が安いので若い人でも、移り住むことが可能です。

 

そして、強くなって、日本に笑顔を分け与えられる人になって欲しいです。

 

ニート、仕事をしない人が増えたのは、日本の発展による清浄効果で、人生に追い求める何かがなく、希望さえ無いからです。

 

グレーゾーンを理解してあげる、そんな世の中になれば良いと思う。

 

BY:Ryuta

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